いつか私はそびえ立つ神の塔に [いつも渡り廊下シルフ]
期間限定のアジサイ画像をー。
いろんなアジサイのお花が咲いています。少し花弁(正確にはガクかな?)の小さなタイプのものも。白いアジサイは圧倒的な存在感でした。光って見えました。ひょっとするとこれからだんだん色づいてくるのかも知れません。良い子のみんなー! 覚えているかなー? お花の色を決める四大色素! じゃあ高菜おねーさんと一緒に言ってみようー。いくぞー! フラボノイドー! カロテノイドー! ベタレインー! クロロフィルー! そしてアントシアニンはフラボノイドの一種だったね!(^^
よく憶えていました。みんな、えらいぞー!
はいだしょうこさんを意識してみた高菜らいすでした(笑) まあそれはさておき、アジサイのお花の色というのは「もともと持っている色素」と「土壌のpH」と「アルミニウムイオン」、そして「時間経過」に影響されるそうです。一般的に酸性土壌であれば「青っぽく」なり、アルカリ性土壌であれば「赤っぽい」お花になることが研究からわかっているとか。さらに研究はすすみ、酸性であればアルミニウムイオンが溶けやすくなるためその影響で色が変わるんであって、たとえば酸性土壌でもアルミニウムイオンが少なければ、青くはならない傾向が高いそうです。日本は雨の多い地域で、アジサイは青いものが多いのだって。けれども高菜らいすの街の歩道脇に咲いているアジサイは色とりどりでございます。あまりに美しくて、意識が一周しちゃって、生の植物が「造花」のように見えたりする始末。セイヨウアジサイは日本のアジサイが品種改良されたものだといろいろなところで説明を読みました。そしてまた日本に戻ってきた。おかえり、おかえり、と唱えながら朝の散歩を楽しんでいます。
以下、少し変わり種のアジサイも。
ガクアジサイの周辺のお花に見える部分が、八重咲きっぽくなっているものも見つけました。スミダノハナビ(墨田の花火)という品種のものにけっこう似ているように思うのですけれど、再度申し上げます、間違っている可能性が高いです。縁あってここへたどりついたアジサイ・ラヴァーの方、どうかお気を付け下さいませ。図書館でちゃんと調べるのが良いと思うよ?

こちらもちょっと変わり種かも。セイヨウアジサイよりも背が高く、花序(?)がだらーんと下がっておりまして、樹木の様相を呈していた種類のアジサイ。こちらはたぶんカシワバアジサイ(柏葉アジサイ)だと思われます。名前にあるとおり、葉っぱが柏に似ていることから名付けられたとか。どうでしょう、似ていますでしょうか。
ほぼ毎日散歩して植物探索をしているのですけれど、あまりにもたくさんの未知の種類に出くわしてしまい、焦ってしまう高菜らいすです。園芸種にまで手を広げると世界の裾野は何倍にも広がってしまう気配が。「わたしはいつか死ぬ。死へのカウントダウンは始まっている。知らないまま死ぬのは嫌だ」と半ば強迫観念?のようになってしまいます。しかしお仕事にも行かないといけないのです。ずっと観察しているわけにもいかない。植物を眺めていたらあっという間に時間が過ぎてしまい、「ぐわー! ヤバい! 遅刻する!」と慌てる。それならもっと早くから散歩をすればいいのだ、と思いついたのですけれど、気がつけばいつもより2時間も早く家を出てしまっていたり。そして、それでも時間が足らないのですよ……。
思い込みが激しいというのは困ったものです(笑)
人には「忘れていられる」という能力も備わっていると聞きました。死へのカウントダウンの音を忘れていられるはずなのだ。それを期待しつつ、極端な方向へ走り過ぎないよう、心をコントロールしていゆきたいと思います。
お花の画像、600枚くらい撮影しておりました。
いやはや、極端だ……。
主食はカイワレダイコンです [フェニックス中華鍋じゃーん]

馴染みの子。メキシコマンネングサです。
想像していたよりも小さなお花だったことに驚いたのがもう懐かしい。いまでは高菜らいすにとって当たり前の存在となってしまいました。花壇の下の方にこっそりと、しかし確実に勢力を伸ばしつつ、存在しているやつらなのだ。
さておき読書メモなどを。
ルイス・サッカーさんというアメリカの作家の『穴』という作品を読みました。児童文学のコーナーに置いてありました。冤罪によって少年院に入れられることになった主人公。干上がった湖のそばで、毎日ただ穴を掘らされる刑に処せられる。時代を超えて出てくるたくさんの人物たちの想いや行いがリンクする、たいへん上手な作品でした。高菜らいすは「ただ穴を掘らされるその行為」自体に何かを感じさせられる物語なのだろうか、と予想していたのですけれど、特別そういう事はなく、物語内で理由が用意されていました。先祖にかけられ、子孫数世代に渡って続いていた呪いがついに。学術的に考察される神話や昔話の構造を、巧い塩梅で現代に置き換えることに成功した作品なのかもしれません。
それから藤田雅矢さんという作家さんの『星の綿毛』を読了いたしました。高菜らいすはずっとこの作品のタイトルを「星の線毛(せんもう)」だと考えていたのです。でも違った。正しくは『星の綿毛(わたげ)』でした。人に紹介するときにも、「星のせんもうだよ!」と言っていたのでして、たいへんお恥ずかしい思いに駆られました。星のわたげです。ある砂漠の星にて、ひたすら大地を耕し種をまく神のような存在の機械が動いている。その廻りにムラがあり、その機械に寄生するようにして人々が生きているのだ。著者は農業関係の研究所に勤務されている方らしく、その経験や知識の生かされた物語となっていました。著者がリトープス(多肉植物の一種)に対して、こんな空想を働かせ、それが物語になった。そんなことを想像できて楽しかったです。
むふふ。
集え! イーハトーヴ・オンライン [水琴窟のウンディーネ]


アジサイの季節ですよー。
いまだに「ガクアジサイ」と「ヤマアジサイ」と「セイヨウアジサイ」のどれがどれだったかよくわからなくなることのある高菜らいすです。一枚目の画像がいわゆる「セイヨウアジサイ」と呼ばれるものかと思いきや、花びらの形がなんだか違っているような気がする。二枚目も「セイヨウアジサイ」なのかな。ネットでひたすら画像検索を続けましたところ、「アナベル」と呼ばれる品種のものにそっくりでした。そして三枚目が「ガクアジサイ」かな……。いまいち断定するのが不安なのでして、仮に高菜らいすと同じようにアジサイの詳しい名前が知りたくてネット検索した末にここへたどり着いた方がいらっしゃいましたら、どうかお気をつけください。間違っている可能性が高いです。次の機会には図書館へ行って「THE・あじさい」的な専門図鑑を探してみたいと思います。
一時期だけの開花なのでいつも詳しく調べることを忘れてしまう、などと思っていたのですけれど、たった今考えを改めました。他のお花も、一時期だけのお花だよね。それではなぜアジサイについて高菜らいすはあまり調べたりしようとしなかったのか。それはたぶん、雨がふっている季節だから。そのような理由が思い付きました。雨ふりゃ人間傘をさす。だからデジカメ構えにくい。そんな理由なのかもしれません。なんともくだらない理由でした(笑) これからあと何度この季節を堪能できるのか。そう考えると傘をさしながらでもデジカメ構えちゃうんだー。ま、そんなアジサイ画像なのでした。
あと、葉っぱは食べてはいけません。毒だからね。毎年というわけでもないのですけれど、食堂で供されたアジサイの葉を食べてしまい病院送りになる方々がいらっしゃった、というニュースを見かけます。アジサイの葉を見かけるといつもそのことを思い出し、暗い気持ちになるんであります。そしてアジサイの葉っぱのあの肉厚な様子に毒々しさを感じるのであります。キレイなバラにはトゲがある。キレイなアジサイには毒がある。よく覚えておくように。ここ、テストに出るぞー。
リピートアフターミー。
さておき6月になりました。最高気温が30℃に近い日がやってきています。高菜らいすの部屋はたぶんお昼間は30℃を越していると予想されます。一番上の階で閉めっぱなしだからね。そろそろエアコン使用の季節となってまいりました。去年はやせ我慢してエアコンをあまり使わない日々を試しに送ってみたのですけれど、夏の終わりかけの頃にようやく得た教訓は「暑い時はガマンしないほうが良い。電気代がちょっと高くなるくらいなんともない。その分、涼をとりげんきに、仕事頑張ればいいではないか」というものでした。
ただ、なんとなく節電ムードの昨今であります。
熱中症で倒れるくらいまでは、節電頑張らなくても、いいよね? と、誰かに問いかけたくなるんでありました。気象庁の統計局のウェブサイトで去年の6月のお天気データなどを眺めるに、そろそろ30℃を越す日がやってきそうです。みなさまも、水分摂取などを忘れず、どうか快適に過ごされるよう、お気をつけください。
それではまた。ばいばいきん。
【追記】 しかしそれにしてもアジサイの花期は限られている気がしてきたました。たとえばカタバミ。カタバミたちは春先から冬の直前まで、至る所にいっぱい咲いている。視界に入る機会がアジサイと比べるとやっぱり多いのかも。「傘をさしているから」という理由だけでもないような気がします。





