その、ぐるぐる巻きな様子ったら…… [換気扇サンダーバード]

にしんの昆布巻き、缶詰でござい。
けっこう美味しいよ! 小さな缶の中に昆布でぐるぐる巻きにされた小さなニシンの肉。つつましく、そして可愛らしいんである。1缶に昆布で巻かれたニシンが3個入っていますニャ。100円ショップなどで見かけることができます。高菜らいすついつい買っちゃう。この缶詰1個でご飯3杯いけてしまいますわん。備蓄食料として缶詰は優れているし、調理の手間が省けるという利便性にも優れているのです。そのせいでついつい利用してしまう。それはつまり、備蓄にはならないということも意味してしまうのですけれど(^^; 買い置きの量を増やしてみましょうか。
震災関連ニュースにて「避難所では炭水化物に偏った食生活になってしまっている」というのを耳にします。缶詰も備蓄しておくとよいのかもなあと思ったり。たんぱくを摂取することができるかもしれない。缶詰ならば火を起こさなくとも食べられますし。備蓄用と銘打たれたセットがお店で売られているのを見かけたりしますけれど、そのまま使うこと無くダメにしてしまい、涙を飲んで廃棄となる可能性もある。それならば平常時と緊急時の生活習慣を同じにしておけばいいのではないか。いつもやることが、危機対策にもなる。これが理想なのかもしれません。
さておき水産加工物の缶詰なのですけれど、東北にはたくさんの缶詰工場があったらしく、100円ショップでも「震災のため在庫がない、すまない」という意味の張り紙がされていました。売っていたのもこのニシンの缶詰だけでした。(売れ残っていたということは、この缶詰意外と人気が無いのかな?(^^;) 家に帰ってネットで少し調べてみると、缶詰の多くが東北地方で作られていることがわかりました。工場で缶詰の材料として保管されていた魚が津波で流され、それらが大量に腐敗、或いは虫にたかられているとか。高菜にゃ募金くらいしかできんけれど、はやく復興への道しるべを見つけられるといいなと願うばかりです。
さておきさておき。
マヘモちゃんと『シムーン』や『魔法少女まどか☆マギカ』を観てからというもの、なんだかアニメに支配される日々を過ごしております。家にあるガンダムのDVDを観たりね。ブライト・ノアはカッコイイ大人だなあ、などと思ったり。あと、この頃激しい頭痛にも支配されています。週明けに久々に風邪を引いてしまい、半分ダークサイドに堕ちておりました。だがしかし高菜らいすはこう見えてもけっこう芯の強いとっても良い子。無事に闇からの帰還を果たしたのでありました。
ほんで、久々に『ARIA The ORIGINATION』というアニメの第3巻を借りてみたりも。何度かこのウェブログでも名前を出しているアニメなのですけれども、再度ご説明申し上げますと、火星をテラフォーミングに成功した後に建設された、地球のヴェネツィアを模して作られた架空都市ネオ・ヴェネツィアで繰り広げられる、ゴンドラ乗りの女の子たちの青春群像劇なのです。青春群像劇と言うとちょっと大げさか。もっとゆったりとしたお話です。癒し系ブームの頃であればヒーリングアニメーションなんて言われていたかもしれません。BGMがすごくいいんだー。高菜はサントラCDをもっているくらいなのだ。マンドリン好きだから。
この『ARIAシリーズ』、全部で3シーズン放映されまして、2シーズン目と3シーズン目の間にはOVAがひとつあり、全部で50話を超える大変大容量のアニメなんであります。今回レンタルしてきた『ARIA The ORIGINATION』は最後のシーズンに当たるものでして、いよいよ登場人物たちは大きな転機を迎えることになるのですけれど……その3シーズン目の第5話が高菜らいすは大好きなのです。借りたこの第3巻には「第5話&スペシャル話」が収められています。借りたの何度目だろう……三回くらいは借りた気がします(^^
この第5話を要約致しますと、「非凡な才能を持っている親友、一方で自分はそれを持っていない。そのことからくる焦燥と落胆」のお話です。ゴンドラ乗りの女の子が沢山出てくる物語なのですけれど、親友たちはそれぞれ天賦の才を持っていて、ゴンドラ漕ぎの天才だったり、歌の天才だったり、類まれな社交性を有していたりする。けれども自分は何も持っていない、そんなことに悩むある少女と、その少女の救われる様子が、この第5話で描かれていたりします。
おぎゃあとこの世に生を受けてこのかた、高菜らいすは「嫉妬心」と戦ってまいりました。これまでの生涯をこの嫉妬心をなんとかする戦いにほとんど費やしてきたと申し上げても過言ではない。「高菜らいすは嫉妬屋なのです」と知人に申し上げても「まったくそうは見えないが」と必ず言われます。しかし、それは嫉妬との戦いをずっと続けてきた成果なのでありまして、胸の内の底の底の底の底の、それまた底のほうには、どす黒くうごめく嫉妬心が横たわっているのを高菜らいすは知っています。それはもう高菜らいすが幼稚園児だった頃からの長い付き合いなのです。
ほんの5歳か6歳くらいの子供に「嫉妬」なんて気持ちわかるんかいな?
と問われれば断言できます、わかります。もちろんそれが「嫉妬」と呼ばれるものであったと知ったのはもうちょっと後でした。天才音楽家モーツァルトの生涯を描いた『アマデウス』という洋画があるのですけれど、その映画の中にモーツァルトの才能に嫉妬するサリエリという音楽家が出てきます。小学生の頃、日曜洋画劇場で『アマデウス』が放映されていたのです。父上がクラシック音楽をよく聴いていたのでして、「らいす、一緒に観る?」となり、父上の説明を聞きながら一緒に放映を観ることに。高菜らいすはそのとき、父上が映画鑑賞時に食べるお菓子のおこぼれがいただけるのではないかとヨコシマなことを考えていただけだったのですけれど、観ているうちに映画に釘付けになりました。
あれ? このサリエリって人、高菜らいすのことじゃないか……。
それ以来、アマデウスが放映されるたび必ず観ました。うちにビデオデッキがやってきてからはレンタルビデオ店で借りてもらったし、録画したものも何度も観ました。いまでは手元にDVDがあるくらいです。当時母上は「らいす、映画の内容、理解できるの?」と不思議がっておりました。「アマデウスは子供にはちょっと難しいのではないか」「らいすくらいの年齢だったら、スーパーマン、ゴーストバスターズ、或いはナイトライダーか特攻野郎Aチームくらいがふさわしいのではないか」と母上は思っていたのかもしれない。母上、バカをいってはいけないぜ。
モーツァルトの自堕落な生活、天才ゆえの悩みなどはよくわからんけれども、サリエリのモーツァルトへの嫉妬くらいわかります。言葉にゃできんが、たしかに似たようなのが自分の中にある。子どもでも感じることはできるんじゃないかな。そのように思います。サリエリが表面上はモーツァルトに親切にするんですよ映画の中で。これもまた、すごく理解できたというか、自分の中に既視感があったというかなんというか。
話を元に戻すと……
つまり、「大好きなあの人が別の人と仲良く、うぐぐ、嫉妬しちゃう」という種類のもんではなく、高菜らいすを締め付ける嫉妬心というのは「自分よりも優れた才能を持った人」へ発動されるものなのです。好いた惚れたではなく、類まれな才能を持った人、その人やその才能への嫉妬である、ということを申し上げておきたい。まあ逆に色恋で嫉妬しないというのは、それはそれで「他人には興味がない」という自身の本質に触れる可能性も秘めておりまして、これはこれでいつか壁にぶち当たるのではないかと心配はしているのですけれどもね。いまのところそれほど問題にはなっていないので、脇に置いておくとして。
そうして生きてきたせいか、あらゆるメディア、映画、小説、テレビドラマ、漫画、アニメなどで「才能への嫉妬」が描かれるシーンではぎゅっと心臓を握り締められる気持ちになってしまうのです。いや、創作物だけにはかぎりません、科学者の逸話などにも才能への嫉妬エピソードが出てくると忘れられなくなる。
たとえば電磁気学史上、必ず通らなければいけない人物にファラデーという科学者がいる。彼の師匠にデービーという、これまた科学者もいた。ファラデーは貧しい階級出身で、デービーは上流階級の人だった。まともな教育を受けたこともなかったファラデーが次第に科学において名声を得るにつれて、デービーは弟子のファラデーに辛く当たったとか。王立のアカデミーの会員になるのを妨害したり。ファラデーが何を考えていたのかはわからないけれど、終身ナイトの受勲話を生涯固辞し続けたそうです。本によっては、「デービーは最後にはファラデーの業績を認め、「科学史上、私の最大の発見は、ファラデーを発見したことだ」と言った」と書かれていることもあり、ファラデーはデービーに助手として拾ってもらったことに恩義を感じ、デービーには文句を言わなかった、と書かれていることがある。(書かれていないこともある) なるほど、非凡な才能を目にしたとき、嫉妬をどのように処理するか、過去にたくさん例があるものだなあと高菜らいすは感じるのでした。デービーが最後にファラデーを認めたのであれば、彼はファラデーの名誉を守ることができ、なにより自分の名誉を守ることができたということになる。アウフヘーベンとは、かくあるべし。そんなことを思う。最後に認めたというのが、事実だったらいいなと思う。
ファラデーに関しては……アカデミーへの入会はしたけれどナイトの称号を受け取らなかったというのは、ファラデー流の身分社会への反抗とも取れるんじゃないかと高菜らいすは想像します。表面上は「いえいえわたしなどにはもったいないことでございます」と装いつつ、その実「貴族社会から与えられるナイトなどという称号はくだらないものだ」と暗に表明をしていたのではないか。ファラデー、すごくカッコイイじゃん。彼の生涯を描いた作品はないものだろうか。題して『ハンプトン・コートの風』とかさ。
なんて(笑)
ぐいーっと話を戻して、『ARIA~』のアニメのエピソードでは「嫉妬」には触れられていなかったように思います。楽しい時間をともに過ごした親友に対して、嫉妬はあったかもしれないが、しかしそれが呪いに変わることはなかった。安心のような、少し残念なような、そんな気持ちになった高菜らいすでした。そうなんだよね、嫉妬はそのうち呪いに変わることがあるんだ。心の何処かで「あいつ、いつか失敗すればいいのに」などと思い始めたら危ないのです。これって誰も幸せにならない。時間、労力の、膨大な垂れ流し。もったいな過ぎるんである。
第5話で少し落ち込んでいた少女は、「努力することに天才的である」という自分を得ることで、前向きになっていました。余談なのですけれど、『ARIA』シリーズの第3シーズン目は、なんかものすごく絵が丁寧でキレイな気がするのですけれど、これは気のせいでしょうか。演出も、3シーズン目はものすごく凝っているように思うのですよ。最後まで観た人へのご褒美のような、そんな気になりました。藍華ちゃんというキャラが、ものすごく可愛くなっていくんだ。DVD、買おうかなと思ったりします。そのうち「あれは作画がすばらしい」なんて物知り顔で述べる高菜らいすが出てくるかも? さらには「ここでの演出のSEは要らないよなあ。せっかくのシーンが安っぽく見える」などと言い出すかも? 引き続き楽しいアニメを探したいと思います。にはは。
長くなってしまった。
お付き合いいただきまして、ありがとうございました。
でっかい感謝です。
おこりんぼヨーダ [フェニックス中華鍋じゃーん]

ぷっはー。
コンビニにてパッケージのペンギンに惹かれて購入した「さくらんぼコーラ」なる飲み物。サッポロ飲料さんから発売されているなんともカラフルな飲み物です。高菜らいす、両親からのしつけの影響でしょうか、「炭酸飲料は悪」であり、「どぎつい色のものは体に悪いものが入っている」などという思い込みがあったりします。けれども認可されている飲料であり、毎日2Lを1年続けるというような飲み方をしない限り大丈夫であろうと思えるように成長しました。
あくまでも嗜好品のひとつなのだ。
毎日2Lを一年続ける、と書きましたけれど、じゃあ健康に良いとされたりすることのある納豆を毎日500グラム食べ続ければ、それはやっぱ「偏食」ということになり、あんまりよろしく無いのではないか、そんなことも思います。赤色2号? 人類の科学の発展を感じられる、素敵な色ではないか。
さくらんぼコーラ、好んで再度購入しようとまで思いはしないものの、炭酸飲料でのどシュワシュワの夜を楽しみました。ネーミングが可愛いな。「さびしんぼソーダ」「かくれんぼオーラ」「おにやんまコーダ」などなど「○○○んぼ○ー○」と抜き出して言葉遊びをひとり繰り広げたんであった。
もう今日は金曜日。一週間早いなー。
降りそで降らないカエルげこげこ [いつも渡り廊下シルフ]

気がつけば五月。
ツツジが見頃になっています。ツツジにはサツキツツジという品種がある。五月は皐月(サツキ)とも言う。なるほど、だからサツキなのか。そのように合点がいった数年前でした。気温も25度を越す日があったりしていよいよ夏への入り口をくぐってしまった感じがあります。暑い夏がやってくるのだろうか。原発事故関連で夏の電力オーバーが心配されている昨今、素直に夏の到来を待ちわびる気にもなかなかなれないということもあるのですけれど。何事も無く夏を迎えられ、秋を迎えられたらいいなと思います。
さておき皆様はゴールデンウィークをいかがお過ごしでしたでしょうか。高菜らいすはマヘモちゃんという友人がおうちに遊びに来てくれたりしました。ぶっ続けでDVDを鑑賞するナイトを過ごしたり。何を観るかでいろいろと案があったのですけれど、結局『Simoun(シムーン)』という少女チック、ロマンチックなアニメを鑑賞しました。全26話。お布団のそばに食べ物飲み物を用意して、寝転がりながらひたすらDVDを観る。そんなイベントなのです。
シムーンに関しては、ここではない世界、ここではない国を舞台にしたSF風味の少女たちの青春群像劇であると、ネット上で説明を目にしました。「群像劇」というのは、幾人かのキャラクターたちそれぞれの成長、変化を描きつつ、それらを絡めて立体的な人間関係を描いたもののことを指すそうです。シムーンもそれにあてはまる部分があるアニメだったように思います。主要登場キャラクターたちは少しずつ成長していくのですけれど、それと同じ速度で、自国が他国にじわじわと侵攻されてゆく。ついには分割統治されてしまうまでに。死んでしまう仲間も出る。失われていくもの、滅びへの姿も描かれていました。それらは作品の大きなテーマである「永遠の少女」というものを大きく盛り上げることになっていたように感じます。
BGMにはアルゼンチンタンゴを意識した曲が使われていて、これこそマヘモちゃんが高菜らいすにこのアニメを見て欲しかった理由なのだそうです。高菜らいす、かつてピアソラという音楽家にはまっていたことがあり、そのことを憶えていてくれたみたい。高菜らいす自身そのことは忘れていました。マヘモちゃんは高菜らいすが忘れてしまっている高菜らいすのことを、よく知っている。
また興味深かった設定として、「シムーン」の世界では「誰もが女性として生まれてくる」というものがありました。17歳を迎えると少女たちは自分が男になるか女になるかを自らの意思で選択することになる。子供時代はみんな女の子なのだ。その設定を意識してか、本作では女性声優のみを起用していたのだとか。物語には性・選択後の若い男性、中年男性やご老人も登場するのですけれど、すべて女性の声優さんが声をあてていらっしゃいました。
初めの数話では多少声優さんの演技に違和感を覚えつつ、「女の子の集団であれば、もう少しドロドロすんじゃないか。ライトに描きすぎか?」という疑問も覚えつつ、また性を選択した後の大人たちの中に「その選択を悔いている」というような人物がいなかったのが少し残念だったかもと思いつつ。しかしあくまでもこの作品は少女の美しい部分を描こうとされていた作品のように思います。全話観終わったあと、マヘモとさっそくなりきりシムーンごっこをしたりして遊びました。「連休がずっと続けばいいのに。もう仕事行きたくない気分だ」「マヘモちゃん、私たちはもう、少女ではいられないのよ……」とかね(笑) 面白い作品でした。ただ、DVDのパッケージや、その紹介文だけであれば高菜らいすは観なかったであろう作品かもしれません。
パッケージ絵で、損してる気がする。
女の子たちがイチャイチャするだけのアニメではありませんでした。まあイチャイチャというか、飛空艇に乗り込む前に女の子同士でキスをすることになっているのがなんとも恥ずかしく、赤面してしまった高菜らいすでありましたけれど。第1話を観終わったあとに「マヘモちゃんは高菜とキスしたいからこのアニメを選んだんかしらん?」と狼狽した高菜らいすでございました。マヘモちゃんは美味しそうにカマンベールチーズを食べていた。
次の機会には『魔法少女まどか☆マギカ』を観たいと思います。
(執拗に契約を迫る、可愛らしい生き物が出てくるとか?)
これとはまた別の日に、京都はZEST御池という地下街にて、平林佐也佳さんという画家さんの作品原画展示会があったので、それに少しだけお邪魔してまいりました。再度、マヘモちゃんを誘って行こうと計画もしていたのですけれど、時間があわず、マヘモちゃんとは行けなかったのですけれどね。生の絵にドキドキしつつ、ZEST御池地下街を楽しんでまいりました。平林さんのウェブサイトはこちら。
のんびり、だらーんと連休を過ごしましたとさ。





