にんにくのニオイがずっと [フェニックス中華鍋じゃーん]

君の胃袋を刺激したあーい。わーん、わわーほぅ。
という歌謡曲を頭の中で即興しながら今日は過ごしました。暖かくなってきたのでパソコンのキーボードを打つのも億劫ではなくなってきた。「気温の変化とウェブログの更新頻度」についての論文がそのうち公開されるのではなかろうか。そう思う近頃です。そんなのは言うまでもない周知の事実なのかもしれない。
なるほど。
周防国とは関係ないみたい [換気扇サンダーバード]
正体突き止めたり!
1枚目の紫のお花の画像も、2枚目の白いお花の画像も、どうやら「ハナズオウ(花蘇芳)」という名前の植物のようです。花弁の色が、蘇芳(すおう)という染料で染めた色に似ていることから、この名前がついたのだそうです。しかしそうなると白いお花のタイプのハナズオウは、仮にシロバナハナズオウと呼ぶとすれば、矛盾した名前になっちゃうのだった。蘇芳の色から借りてハナズオウという名前になった。しかし白いお花のタイプも素敵だよねということで、それをシロバナハナズオウと……うぬぬ。
ただ、シロバナハナズオウときちんと命名されているわけではないのかもです。ウィキペディアにはページが割かれていなかったし。品種名としてシロバナハナズオウという呼ばれ方があるだけなのかもしれません。きっちりと白いのと紫色のものが分けられているわけでもないのかもしれません。このあたりはよくわからないので、後日図書館で調べてみたいと思います。(明日は時間を見つけて図書館へ行けるかもしれないのだー。やっほー)
ハナズオウはどうやら「ジャケツイバラ科」或いは「マメ科ジャケツイバラ亜科」に分類されている模様です。ジャケツイバラという響きがもうなんだか地獄チック、恐ろしい響きで高菜らいすはガクガク震えてしまいます。お花の形も変わっていて、高菜らいすは「遠い未来に宇宙を飛び回る戦闘機」を連想しました。なんでだろ?(笑) ぴーんと張った花びらにエネルギーを感じて、今にも動き出しそう、などと思ったのかもしれません。こういうお花の形は、「蝶形花」と呼ぶのだって。ふむふむ、また勉強になりました。
そうだ。図書館といえば、借りたい本のリストがまたたくさん挙がってまいりました。経済学史の門戸を叩いた高菜らいす、引き続き経済学イギリス古典学派周辺のお話を読みたくて仕方ありません。それから、塩野さんの著作も読みたい。マキアヴェッリの語録について書かれた本があるそうなのでそれを狙っております。
京都は夕方から小雨がパラパラと落ちていたよ。低気圧。頭痛に気をつけなければなりません。すでに頭痛薬は飲んでおります。ばっちしなのだ。現在すこしだけ眠気を催しているので、ハナズオウの名前もわかったことだし、ラジオを聞きながら寝転んでみたいと思っています。きっと夜中に目が覚めちゃったりするのだろうな。それはそれで、なんかいい。体が体を休めることを望んでいるのだもの。応えなくてどうするよー! よー!
……ころりんちょ。
花期の長い園芸種も、そういう理由か? [ナギナギ石切ジャンプ]

こんにちは。
いかがお過ごしでしょうか。高菜らいすは桜の花びらと戯れて「うふふうふふ」ともらしながら道を歩いています。捕まるか、捕まらないか。職質or逮捕。あれ。どっちにしろ不審人物ではある模様。がっくり。
さておき。画像は京都は烏丸御池辺りに存在する不断桜と呼ばれる桜の画像です。当地では「御池桜」と名付けられて親しまれているようでした。前から気になっていたこの桜。何が気になっていたかと申し上げますと、さむーい冬なのに花が満開に咲いている時があったりしたのだ。それを見た高菜らいすは「ああ、このあいだ一日だけ暖かい日があったものなあ、狂い咲きってやつだろう」と訳知り顔で通り過ぎたものでした。
でも違っていた。
この不断桜という種類の桜はたいへん変わり種らしく、年に何度も花を咲かせたりするのだそうです。どの季節でも花を絶やさない、そこから「不断桜」と名付けられたとか。つまり、予期せぬ暖かさにステータスがバーサーク、状態異常になっていたのではなく、常に狂っている桜だったのです。常に狂っているというのはしかし、こちら側から見た感想なのでして、見方を変えればそういう種類の桜なんだよ、とも当然言えるわけでして、なるほど、桜というのは高菜らいすにとってまだまだ謎めいております。「常に狂っている」という言葉に幼心を刺激されたりしております。この場合の幼心とはネットで俗にいう「中二病」というやつかも。むふふ。
この不断桜の妙なところは、ある幹に咲く花は八重咲きで、他の幹にはスタンダードな5枚の花びらのお花を咲かせたりで、個体の中でも花の形が一定ではないことなのです。さらに、幹によって花の咲く形態が定まっているのかというと案外そうでもなく、八重咲きのものが咲いた幹に次には5枚の花びらのものが咲いたりと、なんだかもうとにかく奇妙奇天烈なやつなのです。そしてそういうところに妙な親近感を覚える高菜らいすなのでして、つまりこの桜は、
……ずっと酔っ払っている状態?
なのではなかろうか。そんな擬人化を試みてしまうのでした。もし高菜らいすにこの桜の命名権が与えられていたならば間違いなく「酩酊桜」と名付けていたでしょう。でも命名権は与えられはしなかったのでして、とても残念。いつか南米エクアドルの森林にて新種を発見することが高菜らいすにあるかもしれない、そんなときにはこの「酩酊桜」を思い出し、名付けの参考にしたいものです。エクアドルに行く予定はありませんけれども。
桜といえば、この御池桜だけでなく京都市内の河原に設置された公園には兼六園からやってきたという桜もあったりします。(たぶんクローン桜だと思われる) 一つの花の花びらが300枚にもなるという八重桜なのです。毎年この桜を眺めると、高菜らいすの中にある探究心が刺激されます。銘打つとすれば「小さき無駄な好奇心」とでも申しましょうか。
本当に300枚もあるのだろうか?
か、数えてみたいじょ!(≧_≦)
そんな好奇心を刺激されるのでした。その兼六園から持ち込まれたという桜のお花自体は、八重桜らしいふわふわモフモフの美しい姿で高菜らいすの気持ちを楽しくさせてくれます。ただ「八重咲きのものには子孫を残す機能が失われているものがある」という知識を得てからは、八重咲きの品種のものに対して同情にも似た感情も禁じえません。雄しべを花弁に変化させてしまったから花びらがたくさんの八重咲きタイプになるわけです。雄しべを作るパワーをすべて花びらを作る方にまわした、そんなのが八重咲きたちなのだ。(そのせいか、花期が長いのだって。生殖器官を作るのにはパワーがいるらしく、それをお花に回しているためか、花期が長いとか) 誰かと混じり合って、新しい遺伝子を残すことはできない、けれども目一杯花びらを付かせて咲き誇る。お花の生物学的な機能は「受粉」のためではなかったか。媒介者を誘うために花を咲かせるというのが定説なのではなかったか。だったら八重桜って生物学的には劣勢にあるのではないか、そんなお花で大丈夫か?
なんて思ったり。
そういえば先の不断桜は八重咲きの花と5枚の花の両方を咲かせると述べましたけれど、なるほど、これなら子孫を残す可能性があるということだろうか? そして八重咲きだけの子孫、5枚咲きだけの子孫、両方を持った子孫が生まれるのだけれど、ダーウィンさんの言っていた「自然選択」によって、いずれかの子孫が世に蔓延るようになる。そうなると、不断桜は進化の途上にある中間種と考えられるのだろうか? オラ、なんだか楽しくなってきたぞー。
と、妄想膨らむ土曜日午後でございました。
コーヒー、うまい。
【追記】 桜に関していろいろと調べていたら、ソメイヨシノについて書いてあるページに辿り着きました。まあ、ウィキペディアなんですけれども(^^; ソメイヨシノも子孫を残せない(残さない?)そうです。稀に結実するものもあるそうですけれど、発芽しないのだとか。今全国に広がっているソメイヨシノは、限られた原木からのクローンではないか、そういう説が濃厚なのだそうです。
かつては花といえば梅のことが一般的だった時代があったそうですよね。その後は花といえば桜のことが一般的になったらしい。花といえば梅であった時代のことに思いを馳せれば、かの時代の人の心もちっとは理解できるだろうか? そんなことを思います。梅も桜も樹木にたくさん花が咲くところは似ているけれど、桜は薄ピンクが多いのに対して、梅には白や赤やピンクや黄色などなど、豊かな印象を持ちます。(高菜らいすが見たことのある桜の景色はほとんどがソメイヨシノだからかも?) 梅は華やかさが際立っている一方、桜は意外と地味な気がしてきたぞ……?
新学期、選挙、ハイ喜んでー [移動性高ケツ圧]

「清しいーものはないー♪」と歌われたのは真綿色のシクラメン?
随分以前に図書館ロビーにて展示されていた「シクラメン」です。つんつん、と触れてみるとずいぶんしっかりとした茎。花期が比較的長い植物のようにも思います。様々な品種があり、人々に愛されているのだって。集まった花弁に「皺」を連想させられる高菜らいすで、そのせいか少し「恐怖」も感じる不思議なお花です。
横にあった説明板を読むと、どうやらご近所の高校の園芸部の生徒さんたちが育ててくださったもののようでした。なるほど。園芸部というのはそういう活動をする部活動なのか。高菜らいすは密かに『えんげい!(仮称)』というライトノベル小説を書こうと企んでおり、何かの参考になりそうな気配がいたしました。高校が舞台になった様々な作品があふれる中、いまだ描かれていないのは「園芸部」なのではないか。そんなことを思っています。
高校三年生たった一人の園芸部。廃部になりかけていたところを、一年生の主人公がなんやらかんやら巻き込まれて頑張ることになるというステレオタイプ、王道な物語。話は逸れますけれど、「廃部寸前から立ち直らせる」という物語の立ち上がらせ方は古今東西ありふれていますねえ。第一巻はその高校三年生の先輩が卒業してしまうところで終わるのです。ああ! 卒業しないで白薔薇《ロサ・ギガンティア》さま!(註1)
あれ? すでに園芸要素の登場する作品は存在する模様……。
じゃあもう演芸部にするにゃ。
おほん。さておき、近頃の高菜らいす、経済学史の入門書を読んでいたりします。何を隠そう、聞いて驚くな! 高菜らいすは文系科目知識、それも大学生の基礎教養科目にあたるものをまったく学んでいないのだ。哲学や経済のことがわからない。社会に出て恥ずかしい思いをするのではないか。そんな怯えが9割、それからあれこれ過去の偉人の言葉を持ち出してしたり顔で話す人に対して「うわ、この人は知識が豊富! 素敵! 抱いて!(≧_≦)」などとアホなことを思ってしまわないように、自分も文系教養を身につけておきたい、と思うのが1割の高菜らいすなのです。自分も学んでおけば、突然権威を持ち出されて話をされても冷静に対応できると思うんである。
で、そう思い始めたのが数年前のことでした。それから内田樹さんの『寝ながら学べる構造主義』という本を読み哲学や思想の「目次」を手に入れることができた。出てくる哲学の巨人たちの考えを理解したとは到底言えない気もしまして、「目次を手に入れた」という表現を使わせていただいております。けして読んだ本が物足りなかったわけではなく。「理解できた!」と言わず、「まだまだ入り口ですよね☆彡」と述べることで謙虚さをアピールしようという腹黒い高菜らいすもおりますけれど、まあそれは見なかったことにしてください。
むふふ。
思想哲学の歴史を知る中で、物語創作と並行してロシアのウラジーミル・プロップさんの昔話分類なども知りました。これはなかなか面白かったのだ。レヴィ=ストロースさんは我々に本質論から関係論への転換を示唆してくれたらしいし、ロラン・バルトさんはとってもクール、高菜らいすが腑に落ちることをおっしゃっていた。この二人はいまだに気になる存在です。
で、今度は経済学についても知ってみよう、そんな魂胆なのです。
(残すところは、「法律学」なのだよなあ……これもいつかきっと)
ただまあ、いきなりその道の古典にあたると怪我をする気配が濃厚なのです。さっぱり理解できず、そんな自分にがっかり、嫌気がさして旅に出たくなるかもしれないではないですか。旅費がかさむ。それは困る。そんなわけで、簡単に噛み砕いて書かれた入門書から読み始めようという大作戦なのでありました。別に専門家になるわけでもなく、入門書でけっこうではないか。気になる存在が出てくれば原著に当たる、それで充分ではないか。
で、アダム・スミスさんから知り始めたのですよ。
この方は経済学の父とまで呼ばれている方なのだそうです。重商主義と呼ばれる経済政策一辺倒だった国家に疑問をもち、「あれ? いろんな政策をとって国を豊かにしようとしているけれど、当の国民はあまり豊かになってないんじゃね? 関税をかけて輸入の制限、輸出には奨励金、工業原料の輸出は禁止、植民地貿易は独占、国民生活的には、混乱の極地じゃん? 行き詰まってる気がするなあ」とアダム・スミスさんはおっしゃった。(いや、言ってないかも。高菜が、彼はそのように言っているように感じたというだけかも) そうして『国富論』を書き記し、自由主義の「小さな政府」を提唱したのだそうです。
「市場メカニズム」を意識してきちんと発表したのはこの方が最初だったとか。それゆえに経済学の父と呼ばれているのだって。「見えざる手」というやつもこの人の言葉だったのだ。この言葉だけは聞いたことがあった。別に高尚でも難解でもないじゃん。へへーん、と鼻の下をこすった高菜らいすでございました。
けれどもしかし、内容が新しいことばかりなので、図書館で借りてきたこの本を精読するには大変時間がかかりまして、経済学史を俯瞰するという目的で書かれた本を最後まで読むことができなかった。再度読み直したいと思います。図書館に申請だ。
物理を勉強した人でニュートンを知らない人はいないと思う。ニュートンがどんだけすごかったかの歴史的意義についてはあまりよく知らないけれど、その基礎的な物理学を使い、それを応用する学問なども高菜はちょびっと勉強したんである。それと同じように、きっと、文系科目にもそういう階段みたいなものがあるんじゃなかろうか。あまり身構えること無く、気楽に楽しみたいと思います。強く興味の出るものも、見つかるかもしれないしね。
そんな日曜日! アディオス!
【註1】 「ロサギガンティア」と打って変換したら「白薔薇」と変換されたー。便利なんだかなんなんだか。『マリア様がみてる』という小説より。高菜はこの小説のアニメを見たことがあるのです。ズブロッカの酒瓶片手に、酔っ払いながら、涙を流したアニメであった。お酒って怖いね。





